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イースター
Easter
カトリックの「教会暦」では、典礼季節を待降節と降誕節の期間、四旬節と復活節の期間に大別しています。前者の中心となるのはもちろん「降誕祭(クリスマス)」で、後者の中心が「復活祭(イースター)」です。「教会暦」はこの二つの祝典を柱にして構成されています。 ここでは、イースターにまつわるいろいろなことをまとめることにします。 *「教会暦」についての詳しいご紹介は、キリスト教の祝祭日をご覧ください。
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● 名前の由来
現在では、8世紀のイギリスの学者St.Bedeによる起源論が大方受け入れられています。それによると、「イースター(Easter)」という語は、豊饒をつかさどる春の女神であるスカンジナビア神話の「Ostra」、もしくはチュートン神話の「Ostern」、「Eastre」から派生したとされています。北方ゲルマン人は、この女神の祭日を春分の日に定め、春をむかえる民族的な祭りをおこなっていました。このお祭りが、キリスト教の受容に伴い、下に あげる「過ぎ越しの祭(パッサヴァ)」というユダヤ教のお祭りと次第に融合し、イエス・キリストの復活祭となったと考えられています。 豊饒の象徴であるイースター・ラビットやイースター・エッグなどの伝統は、この祭りの伝統が生き残ったもので、本来イースター・エッグは太陽を表す輝く色に塗られていたと言われています。 |
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● イースターとパッサヴァ キリスト教でのイースターの祝いは、ユダヤ教の祭りである「過ぎ越しの祭り(パッサヴァ)」からの影響をより顕著に受けていて、過ぎ越しの祭りを意味する「Passover」あるいは「Pesach」から、イースターの別名である「Pasch」という言葉が生まれました。 パッサヴァ(Passover)はユダヤ人がエジプトから脱出したことを祝う8日間のお祭りで、ユダヤ教最大の祝日です。 旧約聖書の「出エジプト記」12章によれば、モーゼによりイスラエルの民がエジプトから解放される前夜、神はエジプト中の長男(初子)を殺してしまうのですが、そのとき羊の血を入口に塗ったイスラエル人の家の前だけは通り過ぎた(過ぎ越した)と書かれています。このお祭りはこの故事にちなむものです。 初期のキリスト教徒たちは、もともとほとんどがユダヤ人でしたから、ヘブライの伝統に従って育ってきました。そのため、イエス・キリストの降誕を旧約聖書に書かれている預言のメシアとして認識し、キリストの復活がちょうどこの祭りの時期に起こったとされるので、自分の民の解放の記念と、キリストの復活による救いの業(わざ)を関連づけて考えるようになりました。そして、イエスの復活を祝うイースターを、パッサヴァの新しい形として受け入れたのだと言われています。 東方正教会は、新しい信仰であるキリスト教発祥の地に近いため、古いしきたりが根強く残り、イースターの日付をパッサヴァとの関連で決めています。したがって、一般に西方教会で祝われるイースターとは日付が一致しないことがほとんどです。(後述) |
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● イースターとレント 教会暦では、イースターの前に「四旬節(レント)」という期間があります。これは荒野で断食をしたイエスの苦しみを知り、復活にそなえる敬謙な期間で、信徒たちはイエスの体験した40日間、肉食を断ち、主の祈りをささげます。レントは「灰の水曜日」に始まり、日曜をはさんだ40日間(計46日間)の後、主の復活の歓喜に包まれるイースターで終了します。 レントの最終週は「聖週間」と呼ばれます。聖週間は「枝の主日(Palm Sunday)」と呼ばれるイースター直前の日曜日から始まります。Palm はシュロのことで、これはエルサレムに凱旋したイエスに、住民たちがシュロの葉などをかざし、道に敷き詰めて主の道を作ったことから来ています。 つづいて最後の晩餐を記念する「聖木曜日」、イエスがゴルゴダの丘で十字架にかけられた「聖金曜日」、そして復活の前日である「聖土曜日」が盛大に祝われ、レントは終了します。 |
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● イースターの祝典 復活祭の期日は、春分後の満月のあとの最初の日曜日と定められ(後述)ていて、年によって3月22日〜4月25日の期間を移動します。これを 「移動祝日(The movable Feasts)」と呼びます。 移動祝日というものはそう珍しいものではありません。日本でも(祝日ではありませんが)父の日、母の日などは毎年変わりますし、アメリカの感謝祭なども代表的な移動祝日のひとつです。 この日をもとに「灰の水曜日」「主の昇天」「聖霊降臨の主日」「三位一体の主日」「キリストの聖体の日」が決定されます。特に復活祭から聖霊降臨の主日までの50日間を復活節(五旬節)と呼んでいます。また、復活祭当日から次の日曜日までを「復活祭の8日間」といい、特に大切な期間です。 |
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● イースター・エッグ
元来「卵」は、春の輝く太陽を表すもので、明るい色に塗られ、「ローリング・コンテスト」や贈り物として使われていました。これは北方ゲルマン人たちが春の女神を祝う行事を行っていた頃からの伝統だと言われています。 恋人たちは、ちょうどヴァレンタインの時のように、思い思いに卵を美しく彩色し、時にはエッチングをしたりして、それを互いに交換していました。また、中世では、イースターに卵を召し使いに贈る習慣があり、ドイツ地方では子供たちに贈り物として卵をあげたりしていたようです。 彩色のやり方や、色の用い方は各国それぞれの伝統で違っています。 クリムゾン・エッグはイエス・キリストの聖なる血を意味し、ギリシアで交換されています。緑色の卵は、その昔ドイツやオーストリアで Maundy Thursday(洗足木曜日、聖木曜日)に用いられていたと言われます。スラブ民族は、卵を独特の模様を用いて金や銀に彩色しました。 オーストリアでは、ちょうど日本の絞り染めのような要領で卵に模様を加えたりします。方法は、まず卵にシダや細い植物などを巻き付けて模様をつけ、そのまま卵を茹でます。十分乾かした後その植物をとると、卵に白い巻き跡がくっきりと浮かび上がるわけです。 ポーランドやウクライナでは、独特のやり方で卵に模様を描きます。その方法は Pysanki と呼ばれています。Pysanki は芸術センスと職人芸の結晶のようなものです。まず、溶けた蜜蝋(ロウ)と新鮮な真っ白な卵と、必要な色の染料を用意します。蜜蝋はミツバチの巣からとれるロウで、蝋燭やクレヨンの原料にもなっているものです。卵は用意した染料に順に浸けられてゆきますが、一度浸けるたびに乾かし、その色を残したい場所だけ蜜蝋で模様を描きます。蜜蝋が塗られた部分には、もう次の染料がつくことはありません。つまり、直接色を描き込む代わりに上塗りを封じてゆくわけです。この作業を繰り返すと、複雑な模様が見事に彩色され、イースター・エッグが完成します。 ドイツなどでは、料理に卵を使う際、割らないで底に穴を空け中身を出します。殻だけになった卵を染め、イースターの間木に吊り下げます。アルメニアでは、イエスや、聖母マリアの絵を描きます。 このように、イースター・エッグはいろんな形で民族の伝統の中に根を下ろし、毎年イースター歓びに文字通り色をそえ、私たちを楽しませてくれます。 |
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● イースターの日付 キリストの復活祭、イースターの日付は、厳密に言うと二つあります。 イースターは西方教会(カトリック、プロテスタント、イギリス国教会)、東方正教会に共通する祝日です。その両方で、イースターは、毎年日付が変わる移動祝日として祝われています。しかし、西方教会と東方正教会とで計算方法が違っていて、これがイースターの日付を二重に算出してしまうことになります。 1582年10月、教皇庁によりグレゴリオ暦が採用されました。他の西方諸国の教会にもそれに基づいた計算法が徐々に浸透して行きました。もちろん、世界的にそれが採用されるには、長い時間が必要でした。たとえば英国では1752年に始めて採用されました。しかし、東方正教会ではある事情からグレゴリオ暦を採用されず、今でもユリウス暦が用いられています。 つまり、イースターは毎年二回祝われていることになります。 両教会の復活祭が偶然同じ日になることがあります。近年では1865年と1963年が同じ日だったそうです。 1.西方教会の計算法 西暦325年以前は、イースターの日付の計算方法で、教会は大変苦労していました。325年、ニケアの公会議(The Council of Nicea)で「イースターの日付を、春分の後に来る最初の満月の後の日曜日とする」という決定がなされました。ただし、春分の日は、年によって、地方によって変わって不便なので、基礎となる「春分の日」を3月21日に固定しました。これは当時アレクサンドリアで祝われていた方式を採用したものとされています。また、満月に近い日取りにしたのは、祝典に訪れる信者たちに、夜道が分かるように配慮したためだったとも言われています。 ただ、この算定方法には思わぬ欠陥がありました。当時ヨーロッパで広く採用されていた暦はユリウス暦(The Julian Calendar)でしたが、この暦は不完全で、実天文時との間に少しずつ誤差が生じはじめたのです。つまり、基準になる3月21日という日付自体が実際の春分の日から大きくずれてしまったわけです。そこで、465年ごろ、教皇ヒラルス(在位461〜468)の要請により、天文学者ビクトリヌスが復活祭の決め方を改正しました。この方法は、良い点もあり、現在でもその一部が用いられていますが、イギリスやケルト系の教会は7世紀ごろ、この計算法をめぐってローマ教皇庁とはげしく対立をしました。 532年にDionyisius Exiguusが採用されるまでは、多くの日付決定方式が現れては消えました。のち、Aloisius Lilius、Christoph Clavius らがこれをグレゴリアン暦の基礎とも言うべきものに改善し、イースターの日付表を作成しました。これはグレゴリオ暦とも矛盾がないので、1583年以降のイースターはこの表をもとに計算されています。 1582年になると、ユリウス暦による誤差は10日にもなり、教皇グレゴリウス13世(在位1572〜85)は、少々乱暴な解決策を実行しました。その年の10月4日の翌日を10月15日にしてこの誤差を無理矢理修正してしまったのです。そして、閏年(うるうどし)を調整したグレゴリオ暦(The Gregorian Calendar)を新しく制定しました。この暦は優秀で誤差は一年間に26秒というわずかなものになりました。ユリウス暦の誤差が一年間に11分14秒でしたから、格段の進歩と言っていいでしょう。 しかし、多くの国がこの新しい暦、グレゴリオ暦をすぐに採用したわけではありません。特にプロテスタントの地域では頑強に新暦に反対していました。さらに、たとえグレゴリオ暦を採用していても、イースターの決定方法が違っている国もいくつかありました。たとえば、ドイツのある地方やスウェーデンではグレゴリオ暦を採用したもののイースターの決定方法は Tycho Brahe の観測によってなされていたので、結果的にローマ・カトリック教会とは異なった日付でイースターが祝われていました。 最後まで残ったイギリスとアイルランドが採用した1752年から、ようやく西方教会では同じ日に復活祭がおこなわれるようになりました。 現在西方教会であるローマ・カトリック教会、プロテスタント、イギリス国教会では、イースターは Paschal Full Moon の次の日曜日に祝われます。Paschal Full Moon とは 3月21日以降に起こる満月のことで、復活祭の形容詞 Paschal がつけられています。( Pascal は「過ぎ越しの祭」の形容詞でもあります) この満月は3月21日から4月18日のいずれかの日に起こるので、イースターは3月22日から4月25日の間に祝われることになります。 Paschal Full Moon の日付は、前述の表から決定されます。従って、その日付は、現実に起こる満月の日と比べると最大で2日ほどズレる可能性があります。しかし、この「観測による満月ではなく、前述の表を用いて決定する」という定義は、簡便で、しかも必要なものでした。というのは満月が観測される「夜」は、地球上のどこにいるかで変わってしまうからです。仮にイースターが地方の観測によって決められることになると、異なった日付でイースターが祝われることになるでしょう。 2.東方正教会の計算方法 西暦326年から1582年までの間、キリスト教徒はイースターを325年のニケアの公会議によって採用されたアルゴリズムで決定していました。それは3月21日を春分の日とするものでした。この当時用いられていた暦はユリウス暦でしたから、この3月21日という日付もユリウス暦によるものでした。 教会が東西に分裂した西暦1054年以降でも、1582年までは東西両教会とも、このニケアのアルゴリズムを用いて計算し、イースターを同じ日付で祝っていましたが、1582年以降、グレゴリオ暦が多くの西方教会で採用されると事情は一変しました。東方正教会のイースターと西方教会のイースターが異なる日付になりはじめたのです。 東方教会はユリウス暦で日付を決定していました。ユリウス暦は532年周期で同じ日付で新月になります。新月が同じ日に起こるいわゆるメトン周期(Metonic Lunar Cycle ギリシア暦の基礎)は19年間で、ユリウス暦の周期は28年ですから、19×28=532 という数字になります。これで計算すると、西暦1000年以降、イースターがパッサヴァ(過ぎ越しの祭:ユダヤ暦1月15日)以前にやってくることはなくなります。これで、イエスがパッサヴァの後に復活した(イエスが十字架にかけられたのがパッサヴァ当日、復活はその三日後)という聖書の記述と矛盾がなくなります。 ところが、グレゴリオ暦で計算すると、イースターはパッサヴァの日取りの前に入ることもよくあることになります。たとえば1997年には、パッサヴァは4月22日、西方教会のイースターはそれより3週間も前の3月30日でした。それに対し、その年の東方正教会のイースターは4月27日でパッサヴァの直後になっています。(以上、すべてグレゴリオ暦に換算) グレゴリオ暦、ユリウス暦、ユダヤ暦はそれぞれ相対的に動いています。ユリウス暦はグレゴリオ暦よりも遅くなります。ユダヤ暦は、グレゴリオ暦より遅くなることはありますが、絶妙のバランスでユリウス暦よりは遅くなることはありません。 |
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● 暦の発達とキリスト教
今年1999年の、イースターとそれを中心とする祝日の日取りを、西方教会、東方教会、とで比べてみましょう。
この表を見て真っ先に気づくのは、この時期の祝祭がすべて「移動祝祭」で、どの日付も「イースター」を基準に決定されていることです。実際、イースターの日付が少しでもズレると、他の祝祭もそれに合わせてスライドし、全部の日付が狂ってしまいます。 イースターの日付を正確に決めることが、キリスト教徒にとっては何よりも大切なことであったことが納得できると思います。そして、表から明らかなように、それらすべては「春分の日」の日付にかかっていました。正しくは、ニケアの公会議で決められた3/21という日が、実際の春分にどれだけ近いかにかかっていたわけです。 言い換えれば、現在私たちが用いている太陽暦(グレゴリオ暦)は、キリスト教の祝典のため、「春分の日」を正しく設定するように改良されてきた「宗教暦」に他ならない、と表現出来るでしょう。 以下、主な暦についてまとめてみます。 ● ユリウス暦 ユリウス・カエサルがエジプトを征服したときに、エジプトでもちいられていた太陽暦を学び、前46年に採用したもの。平年を365日にし、4年ごとに366日の閏年としています。実際の太陽年と比べると、ユリウス暦の一年は11分14秒長いものでした。 ● グレゴリオ暦 ユリウス暦での11分余りのズレ。このズレにより、実際の春分は暦よりも早く訪れるようになります。当然、時代が下るにつれそのズレは大きくなり、1582年までに春分は暦より10日もはやい3月11日になっていました。これがいろいろな混乱を呼び、分裂、対立をしながらも、ヨーロッパ世界を支配していたキリスト教にとり、相当深刻な問題となりました。前述のように、キリスト教でもっとも重要な復活祭は、春分を基準にして決められています。それが現実の天体の運行と大きくズレていれは、何のための暦かわからなくなります。そこでローマ教皇グレゴリオ13世は勇断を下します。応急処置として1582年10月4日の翌日を10月15日とし、以後大きなずれが生じないよう次のような改暦を行いました。 (1) 閏年を、西暦年が4で割りきれる年とする。ただし、西暦年が100で割りきれても、400で割りきれない西暦年は平年とする。 (たとえば、1600年は閏年ですが、1700年と1800年は100で割り切れますが、400では割り切れないので平年になります) (2) 閏日を2月29日と決める。 これが現在使われているグレゴリオ暦です。この改暦で1年は365.2425日となり、太陽暦との差は1年間に26秒になりました。 この暦は、フランス、イタリアなどカトリック教国で採用され、現在では西欧のほとんどの国とアジアのかなりの国で用いられています。しかし、当初はローマ教皇の指示でつくられた暦であったため、ドイツやイギリスのようなプロテスタント教国ではすぐには採用されませんでした。そのため、イギリスで1752年に採用されたときは、イギリスの暦では11日のズレができていて、9月2日の翌日は9月14日としました。ソビエト連邦では革命後の1918年に、ギリシアでは1924年にようやく採用されました。しかし、多くの東方正教国はユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦しませんでした。 グレゴリオ暦は、キリストの誕生を暦の始まりとしているので、「キリスト教会暦」、もしくは「西暦」とも言われているのはご存知の通りです。また、常用暦としてのグレゴリオ暦の欠点を修正しょうとする試みや案がいくつかだされています。 ● 教会暦 キリスト教会暦は、教会特有の種々の祝祭日と社会生活での祝祭日の両方をしるしたものです。そこにはクリスマスのような固定祝祭日と、復活祭などの移動祝祭日が含まれています。キリスト教の教会暦にみられるおもな祝祭は、順に待降節、クリスマス、公現祭、四旬節、復活祭、昇天祭、ペンテコステ、三位一体の祝祭などがあります。 ● ユダヤ暦 ユダヤ暦は古代のヘブライ暦からきたもので、今もイスラエルの公式な暦であり、ユダヤ人によって宗教暦として使われているものです。この暦の起点は前3761年で、旧約聖書でのべられている天地創造の年とされています。ユダヤ暦は太陰太陽暦で、29日と30日が交互にくる太陰月に基づき、19年周期、3年ごとに1カ月が挿入されます。 今年1999年はユダヤ暦では5759年となります。 |