Christmas Gallery
The Epiphany


 「賢者の礼賛」

Christmas
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方の三博士が星に導かれてやってくる…。イエスの生誕にまつわるいくつかの言い伝えの中でも、このお話は多くの人が愛し、いくつもの歌や詩に表現してきました。いわばクリスマスのハイライトの一つだと思います。

キャロルでも、「われらはきたりぬ」「ノエル・ノエル」「みそらをはせゆく」「王の行進」など、この場面を歌ったたくさんの歌があります。

このお話は聖書では「マタイの福音書」に述べられています。それによると、東方の三博士はイエスの誕生を古星術により「予知」し、天に輝く星に導かれてベツレヘムまでやってきたとされています。

その間に彼らはエルサレムへ赴き、そこでユダヤ王国のヘロデ王に謁見して、ユダヤの地で生まれる新たな「王」について質問します。これが原因となって、イエス自身にも危険がせまり、さらにベツレヘムの民には、ヘロデによる「嬰児の殺戮」という苦難がふりかかります。これについては、「逃亡、嬰児の殺戮」でふれることにします。

マギとは一体何者だったのでしょう。これについては様々な意見、学説が展開され、現在では、ゾロアスター教の司祭たちであった、という説に落ち着いているようです。マギは星の運行、それが示す意味を読み取る能力にたけ、数千年に一度しか訪れる機会のない星の並びとなる日を算出し、救世主の誕生を予測したと言われています。それは膨大な資料と、計算、そして、マギ特有の霊感に裏打ちされたものだったといいます。刻々変わる星の動きを観測、計算して、イエス生誕の地を割り出し、その地まで赴いて礼拝しようと旅立ってのではないか、と考えられているわけです。

この説では、「生誕の星」とは、実際に天に輝いた星ではなく、マギが「星の運行の計算によって導かれた」ということを象徴しているものと解釈されます。

マギがイエスに捧げたとされるものは、黄金と乳香と没薬(もつやく)だったと言われていますが、これらは呪術的な意味合いもあって、護身のまじないにも使われたものだと言われます。

マギは礼拝を済ますと「エルサレムに戻るな」という天使の言葉により、再びヘロデの元へ戻ることなく、どこともなく姿を消してしまいます。

この「三博士」が次に歴史に登場するのは、3世紀の初めです。ローマ皇帝コンスタンチヌスの母親ヘレナが、この博士たちの調査を命じ、その結果三人の「遺骸」を発見して、それをコンスタンチノープルの聖ソフィア寺院に納めた、とされています。現在ではその遺骸はケルン大聖堂に移され、歴史の謎をまとったまま眠り続けています。

後に、ヨハン・フォン・ビルデスハイムという学者が、ケルン聖堂の記録である『聖なる三国王の歴史』という書籍を著し、そこで三博士の伝説に関する種々の中世期の資料の集大成ともいうべきまとめを行っています。ラテン語で書かれたこの書物には、三博士に関する細部描写が集められており、芸術家が三博士像を描く上での参考書として用いられたと言われています。たとえば、三人の中で最年少のカスペールが黒人とされ、バルタザールが白髭を伸ばした老人とされるのはこの書物を典拠としたものです。

三博士は、青年、壮年、老人という人間の3つの時期を表わし、3つの贈り物もキリストの生涯の局面を象徴的に言及するとされています。つまり、黄金はキリストの王権、乳香(香料)は祭司職を、防腐処理用の没薬は受難と死を意味していると。

ちなみにマギ (the Magi) はギリシア語の magike という言葉から派生して、日本の聖書では「博士」と訳されていますが、本来は「技を持った者」という意味になるそうです。これが「魔法」を表す Magic という言葉になったことはご存知の通りです。

三博士についての詳細は 「われらはきたりぬ」の曲メモを参ご照下さい。

 

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"Following the Star", ゥ 1994
Arnold Friberg
(American)

アーノルド・フライバーグ
(20世紀、アメリカ)

恐らくこれが「東方の三博士」を描いたもっとも神秘的な絵画でしょう。博士たちを導く「降誕の星」そのものを描かず、その光輝が道を急ぐ三博士を浮かび上がらせています。現代アメリカを代表する巨匠フライバーグの素晴らしい作品です。
 



"Adoration of the Magi", 1480
oil on canvas
Florence
Leonardo da Vinci
(Italian, 1452-1519)

「三王礼拝」
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(15世紀、イタリア)
レオナルドのフィレンツェでの作品の最後のものです。師でもあるヴェロッキオの工房から独立したレオナルド29歳の作で、サン・ドナート・ア・スコペト修道院から委嘱された作品と言われています。レオナルドは、エピファニーを夜明けの光の中に置く解釈をし、三人の賢者(王)は聖母子の前に二人、向かって左後方に一人が位置し、この5人をとりまく群集の同心円の中心になる配置になっています。絵の両端には左に老人、右に青年(レオナルド自身と言われています)をおいて、絵をささえる柱のようにし、構図の安定を確保しています。この上なく完成度の高い構図は、これ以上の加筆を不可能にしたのでしょう。レオナルドはこの絵を完成させないままミラノへ向かいました。
しかし、中央の母子像はこの上もなく美しく、黄金に輝き、これ以上の完成を必要としなかったとも思われてなりません。細部にいたるまで素晴らしい作品だと思います。



"The Adoration of the Magi", 1475
tempera on wood
Galleria degli Uffizi, Florence
Sandro Botticelli
(? - 1510, Italian)

「三王の礼拝」
サンドロ・ボッティチェリ
(15世紀、イタリア)
ヴェロッキオ工房での、レオナルドの先輩にあたるボッティチェリの三王礼拝の図です。レオナルドのものとは違い、明るい昼間のエピファニーになっています。石段の上に立つ聖ヨセフが、母子を斜め下に見ている斬新な構図になっています。これもとても美しい絵で、群集の表情もさまざまで楽しめます。絵の中に、ヴェロッキオなども登場していると言われています。また、右端に立ってこちらを見ている青年は、ボッティチェリ自身の肖像だと言われています。
 



"The Adoration of the Magi", 1504-05
Galleria degli Uffizi, Florence
Albrecht Drer
(German, 1471-1528)

アルブレヒト・デュラー
(16世紀、ドイツ)
ドイツ北方ルネサンスの巨匠デュラーらしい、とても骨太で、貫禄十分のエピファニーです。人物描写も緻密で、個性的で、三博士の人柄までも感じることが出来そうです。聖母もドイツ風の衣服で登場し、イタリアのものと比べると興味深いものがあります。
一説に、フランクフルト・アン・マインの「妻に侮られるヨブ」と、ケルン・ヴァールラフ=リヒャルツ美術館の「2人の楽師」からなる、三枚の合わせ絵の中央に組まれていたものだと言われています。現在は、上のダ・ヴィンチの「三王礼拝」の図と同じ、フィレンツェ・ウフィツィ美術館にあります。
ダ・ヴィンチとの共通点はそれだけではなく、この絵の背景に描かれている人馬はダ・ヴィンチの絵の右後方に描かれているものとほぼ同じで、イタリア遊学当時にレオナルドの絵画と親しく接したデュラーが、その影響を受けたものと考えられています。 



"Epiphany"
Raffaello Santi(Sanzio)
(Italian, 1483-1520)

「エピファニー」
ラファエロ
(16世紀、イタリア)

ラファエロによるエピファニーです。天井壁画の一部で、仔細に表示した画像が少ないので、めずらしいものだと思います。聖母マリアは、「聖母の画家」と言われるラファエロならではの気品に溢れています。私たちにとって、もっともよく目にするエピファニーの図柄の一つでしょう。



"The Adoration of the Magi", 1422
da Fabriano

「三王の礼拝」
ファブリアーノ
(15世紀)

少し古い時代の作品です。特に素晴らしいのは、三博士の着ている衣服の表現です。細部に至るまで見事に描かれて、当時の人々の東方への想いをつのらせた作品だったのではないでしょうか。



<絵画選択&コメント: 絢>
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